ayulaveの放言

思いついたことを見境なく書いてます

受験生時代を振り返って

もうこのブログが出ているころは、大学受験も高校受験もピーク

ですかね。

それぞれ私立・公立あるでしょうが、子供も親も、みなピリピリ

している時期でしょうかね。

自分も経験したはずですが、何十年も前のことですっかり忘れて

しまいました。

幸い、自分は高校受験も大学受験も第一志望に受かりましたので、

親共々ほっとしました。

でも、例えば大学校受験で第一志望大学に行きましたけど、大学の

講義の内容とか確認すると、特に高校時代に蓄積した勉強内容と

継続性というか関連性を感じませんでした。

受験した時の受験内容は、高校時代の勉強内容の集大成だったの

に、入学後の大学の講義は大きく様変わりでした。

一般教養講座の場合、自分で講座を選べるのは面白かったのです

が、それは高校時代の学習内容と更にかけ離れていました。

つまらないとか面白くないという意味ではありません。

結局「高校時代に必死に頑張ったのは何だったのか」ということ

でした。

「受験勉強をする」という試練というか、ある時期の精神の鍛練

修養は、まあ無駄ではないと思います。

中学生から高校生になるときの受験勉強は、ある程度継続性が

ありました。当然でしょうが高校でクラスが決まった時、同級生

の顔を見たら、「同じ試験を受けて入ってきた人達だから、自分

と頭のデキは大して変わらないよね」と思いましたね。

これは自分の知り合いから聞いた話ですが、知っている中学生の子

が無理して偏差値が高い高校への受験をし、幸いにして受かった

そうですが、授業についていけず転向する羽目になったそうです。

またある知り合いの子は、中学生のころ優秀な成績で偏差値が高い

高校に行きましたが、中学生時代は常にトップクラスの成績だった

のに、その高校では一気に平均レベルになったそうです。

優秀な子が集まってきてるんだから、あり得ることですね。

まあ、中学から高校へはまだまだ勉強の延長、言うなれば受験勉強

のための勉強の継続、というのは言えそうです。

でも大学受験後の学問の世界は、隔世感が大きいような気がします。

解放感があるのは嬉しいことですが、「今まで勉強してきたことは

もう不要なのか」を思うと、何だか勿体ない気がします。

次は就職活動が待っているわけですが、これからはそれこそピンキリ

で、皆が皆一般的な会社員をやるわけじゃないでしょうが、企業就職

なら、就職時に必要なのは卒業証書ですかね。

まだ就職活動中では成績証明書の提出を求められることがあるようで、

これは本当に卒業できるかを、企業側が判断するために必要なよう

です。

まあその辺りも含めて、面接試験も受けて問題なしということになれ

ば採用ということになるでしょうが、やっぱり学生時代の勉強成果は

求められないんですよね。

もちろん自分は一般企業への就職を前提に書いていますので、医療

方面だったり理化学系の大学を卒業して、そういう研究所への就職

の場合の事情は別になります。

目的達成のために頑張るということ自体は大事であって、そのために

受験勉強することもは全く否定しませんが、もう少し中身について

継続性や活用性があってもいいのではないかと思います。

特に高校時代に学んだことは、そのまま学者や教員になるための知識

に特化していると思います。

英語でも高校で勉強して受験でも必須科目でしたけど、大学に入って

全く勉強する必要がなくなりました。

諸外国の状況はどうなんでしょうね?

アメリカとかは、大学の入試よりも卒業を重んじるので、卒業できた

ということは最低限の能力があるということで、「大卒」の意味は

大きいようです。

まあ、何だかんだ言っても一生懸命勉強しても社会人になってから

またスタートラインに並びます。

学校時代に成績良くても悪くても、留年とかしてもしなくても、

社会人になったら何年か経つと、状況は分からないわけです。

学生時代成績が分かった同級生が、会社で上手くいって自分より出世

しているかもしれないし、社長になっているかもしれない。

努力はするけど、学生時代の成績なんて自慢にもならなくなるわけ

です。実際実態のわからない受験勉強だし。

せっかく受験勉強するなら、将来も使える知識を覚えたいものです。