しばらく休止します。
次回開催予定は11月18日予定です。
以上よろしくお願いします。
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自分は映画が好きですので、洋画でも邦画でも観ます。
邦画ならそのまま観ますが、洋画だと元の言語に日本語字幕がつく
場合と日本語吹き替えの場合があります。
純粋に洋画を観る場合、普通は映画を観るので元言語に字幕がつく
方が好きで、映画館で観る場合はたいていそれで観ます。
ただ子供のころは、TVの2時間の映画枠で映画を見ていましたの
で、それは吹き替えでした。
その頃はそれで観て満足していましたけど、大学生くらいになって
レンタルでVHSが観られるようになって、それを観て吹き替えで
はなくオリジナル言語の映画を観るようになりました。
そもそもTV放映版だとCMの関係もあってカット編集だったので、
オリジナルで映画を観られるということに感動したものです。
しかし、同じ映画で最初にTV吹き替え版を観てその後にオリジナル
言語版を観ると、違いがあるのに気づきました。
吹き替え版だと普通に長々と喋っているのに、字幕版だと
やたらと単語的に、ぶつ切りになります。
観る分には理解しやすいですが、これを声にすると不自然な感じに
なります。
これに慣れてしまうと、外国の人はこんな喋り方をするんだと思い
込んでしまうでしょうね。
ただ日本人の喋り方と外国人のそれが同じかどうかは実際は分かり
ません。
しかし実際の生活で、外国人でもなく普通の日本人で映画の吹き
替えみたいな喋り方をしていたら絶対不自然なはずです。
映画の中で、英語などの外国語に合わせて喋るから不自然でない
わけです。
上に書いたように外国語英語を日本語吹き替えにすると、単語
ぶつ切り的なセリフになるわけです。
そうしないと画面の切り替えに、目が追いつかないからでしょうね。
そういう意味では、吹替映画を見ているときは、独特の言語世界
の中にいるかと思います。
しかし字幕を充てるときは画面の切り替えも考えないといけない
ので、充て方もなかなか難しそうです。
外国映画だと同じ映画の同じ人物なのに、版元の違いなのか吹き
替えが違ったり字幕の内容が違ったりします。
昔見た外国映画を久々に見て、こんな字幕だったっけ?と不思議
に思うことはままあります。
それを見ながらこの吹き替えや字幕がいいな、と自分の好みが
出たりします。
それも楽しいと思いますし、外国語が出来てオリジナル言語を
理解しながら吹き替えを見ると、その違いに気づいて面白いと
思うような気もしますが、肝心の映画を見るのに余計な思考が
入って却って邪魔かもしれません。
純粋に映画を見る方法は自分は何かなと、ちょっと考えるのは
楽しいかもしれませんね。
アメリカの中間選挙までもう1か月になりました。
トランプ大統領率いる共和党は特に苦戦が伝えられていて、下院に
ついては民主党に議席を奪還される可能性があると言われています。
トランプ大統領は、自分の支持率が低いことを伝える報道を表向き
は「フェイクニュース」だと否定しますが、実際は実態を分かって
いるんだと思います。
で支持率挽回に向けて猛アピールするわけですが、目立つのが国民
への現金の直接給付、いわゆるバラマキへの言及ですね。
日本の選挙の時もあることはありますが、
今回のトランプ大統領の配当金分配の話は、露骨なくらい分かり
やすい話です。
一般庶民にとって自分の現金が増えるということは、誰でも嬉しい
話であるのは確かだと思いますし、歓迎すべき提案であるのは間違い
ありません。
ただ問題は、その財源があるのかとか将来の税負担増に繋がらない
かなとか色々あるんですけど、考えない人は考えません。
この負担金の問題は分かりやすいですが、政治家の中には一般人に
受けがいい提案をする人は多くいます。
一般庶民の肌感覚を知ることや庶民目線を大事にすることも、政治家
にとって大事なことだと思います。
しかし選挙の時だけ一般大衆受けすることを言うのは、また違うと
思います。
そういう人に限って「選挙で勝ちさえすればいいんだ」と、後のこと
を考えなかったりします。
また深く考えずに言ったために、当選後にその公約の整合性に苦慮
することもあるようです。
基本、政治家というのは総理大臣でなければ、オールマイティの
施策に通じていないといけないわけでもありません。
得意分野があっておかしいことではありません。
政治家となるために選挙に挑戦するときは、「何々について自分は
対策を講じますよ」と、もっと具体的で専門的であってもいいと
思います。
今の政治家の選挙時のマニフェストとか見聞きすると、あまりに
抽象的ですね。
どうにでも解釈出来る言葉が多いと思います。
そして政治家は、庶民目線は大事ではありますが、庶民に受けない
政策をする覚悟も必要でしょう。
例えば増税しないといけない時、それが本当に必要なら自分が嫌わ
れて落選する覚悟で国民に訴えるべきなんです。
有事が発生した場合もそうです。
万一有事が発生した場合もそうです。
いたずらに国民を不安にさせる必要もないですが、ある程度最悪の
事態も国民に説明する必要があります。
正しい情報収集をして、最低限必要な情報を国民に公表する姿勢
ですね。
要は国民に誠実に説明する姿勢が大事ですし、場合によっては
自分が次回の選挙で落選する覚悟が必要じゃないかと思います。
保身ばかり考えるではなく、真剣に何のために政治家になったのか
考えて政治家をやってほしいと思います。
例えば誰かと1時間後に、どこどこの場所で会おうと約束したとします。
持っている時計が正確で、途中で交通アクシデントなどに会わなければ、
約束の場所に時間通りに行くことができます。
相手も同じなら、1時間後に約束した場所で会うことができるわけです。
ということはあなたと相手は、その場所に行くのに自分の場所からどの
くらいの時間が掛かるか計算することが出来ています。
なぜそれが可能かというと、あらゆる時計の秒の数え方が正確だから
ですね。
基準の時計があって、その秒に合うように秒の数え方が設定されている
んでしょうね。
時間は最小で秒単位の集合です。
60秒で1分、60分で1時間といった具合です。
どの時計も正確に秒を刻めるので、正確な時間が測れるんですね。
しかしこれは簡単のようですごいことですね。
1分は60秒ですが、その1秒感覚が僅かでも狂うと、1分が狂い、
そしたら1時間、1日の狂いが大きくなってしまいます。
その狂いを生じさせることなく多分千年以上?も正確な時間を維持
しているのはすごいことだと思います。
しかし時間というのは不思議なものですね。
それは目に見えないが、確実に存在すると思います。
存在しなかったら正確な秒を刻めないと思うからです。
しかし時間というものは不思議なもので、未来に向かって一歩方向
にしか進めません。
過去に遡ることも出来ないし、映像メディアみたいに早送りも一時
停止も出来ません。
よく自分にとって都合が悪いことがあれば、過去に戻ってやり直し
たいと思うのが人間の常ですが、これだけはどうしようもありません。
自分たちは、時間が未来の方向に進むことを防ぐことが出来ません。
では先回り的に、この先どんな風に時間が進むか確認することが
出来るでしょうか?
これが出来れば未来予知ですから、災害や急な事件事故も回避する
ことが出来ますし、宝くじでギャンブルで巨万の富を手に入れる
ことも可能でしょう。
しかし現実にはSF的な発想なので出来てはいません。
将来化学が進んでも、時間そのものの解明は出来ないような気が
するんですが。
ただ正確に1秒を刻むだけですから。
その方向に向かって物質が変化していくだけです。
目にも見えないし音も発さない不思議な存在ですね。
ただ媒体の記録ということが出来るようになったので、録画録音
という形で、一定期間の映像の時間は疑似的に操作することが
出来るようになりました。
巻き戻しも早送りも一時停止も可能です。
それを見れば時間の正体が掴めるかも、とも思いましたが無理の
ようですね。
記録された映像音声はそれでしかないようです。
先ほど未来の科学の発展について書きましたが、今のままでは時間
の正体について掴めません。
しかし科学が進歩するということは、それに至る発想も全く異なる
アプローチが登場する可能性もあります。
どういうものか想像もできませんが、いつか何かしらの解明が
できたらいですね。
そして、遠い昔正確に1秒を測ることを発明した人は凄いな、と
つくづく思います。
もう何年も言われていることですが、国連について機能不全が指摘
されています。
国連は第二次世界大戦の反省から各国が協調して、国際的な問題を
解決しようと設立された組織です。
現在は196国が加盟しているとされています。
それ以外にも国はあるでしょうから、世界の国って多いなと思い
ます。
さてそんな国連ですが、その設立にあたっては第二次世界大戦
の戦勝国が中心となって作った国ですので、どうしてもそれらの
国が優位な体制になっています。
その代表的な例が、常任理事国制度です。
第二次世界大戦での戦勝国と言われる国が常任理事国になりました。
その常任理事国は安全保障理事会での拒否権を持っています。
なぜそれを持たせているからというと、不満があるからといって
国連を抜けさせないためだそうです。
とはいえ、大きな問題が発生したとき、それらの国は
拒否権を行使して、その議案が成立しないようにします。
国連の議案はその繰り返しのようです。
大国を国連に留めるということですが、いい加減、制度改正は
出来ないものものですかね。
既に色んな提案はされているでしょうが、例えば常任理事国は
一定の期間を持って一旦理事国から外れ、その期間は非常任
理事国が入るとか、常任理事国の拒否権も非常任理事国のある
程度以上の賛成で成立させないようにするとか、色々方法はある
でしょう。
どの国連加盟国でも、基本自国の利益が大事なのは分かります。
しかし国際協力で世界全体の調和を図るように努力しないと、
結局自国の利益も損なうことになりかねないのです。
そもそも国連は各国の利害の調整の場なので、いちいち自国の
利益を要求していたら意味がないわけです。
極端なことを言えば、各国が人を出して国際警察とか国際軍隊
みたいのを作れるのが理想でしょう。
その人たちは国際社会で紛争や事件が起こった時、自分の出身
国に関係なく国連職員として任務を全うすることになります。
もちろん文化や宗教の違いで、統一した組織を作るには困難が
伴います。
しかしそうでもしないと、国際社会としての対応が取りにくい
からです。
完全な国連を作るには大変な労力と手間が必要でしょう。
そもそも今現在が大国に振り回され、機能不全になりがちです。
しかし国連が機能しないと小国が困るでしょう。
各国とももっと、国連の大事さについて国民に勉強してもらう
べきでしょう。
国は積極的にしないかもしれません。
しかし志ある民間団体がそういう教育機会を儲けるべきだと
思いますね。
今はネット社会ですから、色々できると思いますね。
「世界統一の意思」の成就に向けて、全世界の国民が努力すべき
だと思いますね。
よくユーチューブの動画で動物ものを見ます。
どういうのを見るかというと、野生動物の生態ですね。
逞しく生きる動物を見て、野生動物ってすごいなあと感心するわけですが、
出産・育児の動画も見るし、肉食動物が他の動物を捕獲して食べるシーン
も見ます。
ところでその動物の出産シーンを見ると、生まれたばかりの子供を舐めたり
してこの上ない愛情を注ぎます。
特にライオンのような凶暴な肉食獣であっても、それは全く同じです。
しかし肉食獣ですから、当然他の装飾動物を襲ってその肉を食べます。
それが子供であっても容赦しません。
残酷な話ですが、生きながら食べられる獲物もいるようです。
苦痛で泣いても気にしません。
要は自分の家族以外の動物に対する愛情など一切ないわけですが、野生
ではそれが当たり前なんですね。
猛禽類になると、自分のヒナの餌として他の鳥のヒナとか攫ってきます。
ところで人間はどうでしょう。
小さな動物を見れば可愛いと思うし、育てたいという気持ちにもなります。
本来食用の対象である牛や豚に対してもそういう気持ちになることがあり
ます。
たいていの人にとって、そういう動物とスーパーで買う肉とは別物という
感覚ではないでしょうか?
もっとも人間は知能が高いので、他の生物に対する愛情の余裕があるの
かもしれません。
そもそも子に対する愛情というのも遺伝子的なもので、美しいものでも
ないのかもしれませんが、それでも人間も他の動物も、自分の血統の維持
のために大切なものなので、大事にすべきことなんですよね。
「最近の若者は」という言い方をすると昭和の小うるさいおじさんみたい
になってしまいますが、ただ自分がそういう年齢になると、どうしても
若い世代の考え方とか気になってしまいます。
これは特に若い世代の問題だけではないですが、昔にくらべてどんどん
選挙の投票率が下がっています。
主な理由としては「どうせ投票にいっても何も変わらない」「行くの面倒
くさいし、メリットがない」とかがあるようです。
実際自分の1票は1票に過ぎません。
しかしその1票は権利です。その権利を放棄することはやはり勿体無い
と思います。
思うに今の時代、物にも情報にも溢れています。
もちろん自分の生活を維持するために、最低限の仕事はして収入は得ない
といけないわけですが、それ以外の社会全体の関心について自分からの
意思表示をしないわけです。
ただSNSは別です。
承認欲求のためで自分を評価してもらうために、積極的に関わります。
これだけですね。
いわゆる引きこもりとは少し違うような気がします。
つまり純粋に自分のためだけに生きているような気がします。
誤解を招く書き方ではありますが、もちろん誰でも自分の人生なので、
自分の幸せのために生きています。
ただその中で家族のへの愛情で家族のために動くこともありますが、
極端な話、今の時代は他人のために生産的なこともしない人が多く
なっているんじゃないでしょうか。
もちろん大半がそうだというわけではりません。
そうであれば社会の機能がとっくに止まっています。
しかし何か劇的な社会変化でも起こらないと、この「社会参加しない
人」の割合は増えていくと思います。
なぜそれでも危機を覚えない人が多いかというと、「誰かがやってくれ
るでしょ」的な発想になるからです。
もちろん「国に心身ともに貢献しろ」などという右翼的発想で言って
いるわけではありません。
ひきこもり的な人が増えるかもしれませんが、今は自宅ワークもあり
ますから、それで生活の糧を得ることは別に構わないわけです。
しかしそれさえせずに、自分の趣味のみでネットで他人と交流する
だけの生活だと生活する糧さえ得られません。
親の収入があるからといって、それを充てにしても限界はあるわけ
です。
その時になっていい歳して生活の糧を得るのは、なかなか大変だと
思います。
選挙にも行かなくて結果、自分が望まないような社会施策が実現して
も、自分は選挙権という権利を行使していないのだから文句も言え
ません。
人間誰でも仕事などせずに、のんびり暮らしたいものです。
しかしそののんびり時間を得るために、何かしらの仕事をするわけ
です。
中には仕事を頑張っても、その仕事環境のせいでゆっくり出来ない
人も正直たくさんいます。
しかしそうしないと、生きていくことさえ出来ないわけです。
別に「社会を動かすため」と気張らなくてもいいんですけど、自分
が社会の中で何か動けば、小さくとも社会はその分動きます。
仮に孤独生活をしたいと思えばそれでもいいですが、それでもその
準備のために、糧を得る必要があります。
結局社会に関わらないと、食料ひとつ手に入らないわけです。
人によって生活環境は違うわけですから、個人個人がみな大層なこと
をする必要もないですけど、早く受け身だけじゃ限界があるという
ことを、みな知るべきだと思いますね。