自分は実際にしたことはないですが、テレビとかでお寺の座禅のシーン
で、座禅している人の片を警策で叩くのを見ますね。
叩かれた人は、無言で頭を垂れてお礼をいったりします。
時には、叩く人が「喝!」と大声を発するところも見た気がします。
あくまでイメージなんですが、この座禅をやると頭も身体もリフレッシュ
されて洗練される気がします。
また滝行というのもありますね。
白い薄着一枚で滝に打たれる荒行ですが、これも煩悩や雑念を払ったり
できるようです。
どうも昔から日本古来の修行などによって、心身を清めたりすることに
憧れます。実際には何もしたことないんですけどね。
リフレッシュとかの効果でもいいんですが、最終的には自分が憧れ?て
いるのは「悟り」です。
うーん、何というんでしょうか、脳の高次元化ですね。
単なる素人の憧れで色々調べたりしていますけど、禅修行もいいんじゃ
ないかって思ったりします。
禅問答の本とか見ると面白いですね。
高僧が弟子に対して物理的に不可能なことを命じたり、返答しようがない
回答を求めたりします。
これに対して弟子がいかに応じるか(全部弟子との話ではない)などが、
面白いですね。
決して1+1=2でない非論理的な世界。
あくまでその本に書いてあったことですが、論理を重んじる西洋人が逆に
その東洋の非論理性に憧れて、禅寺を訪ねたり勉強したりするそうです。
東大に行ける人の脳はまたちょっと違うんでしょうが、今の受験的な勉強
では、脳の向上はある程度限度が知れているような気もします。
ドラッグで脳を開発するとか話を聞いたこともありますが、法的・医学的
にリスクが高いと思います。
なかなか難しくて文章にしにくいところですが、「悟りの境地に至る」と
「脳のバージョンアップ」とは方向性が違うんだと思います。
意味は後者の方がわかりやすく、超能力を含む特殊な作業ができるよう
な脳の開発ですね。先に書いたドラッグで脳をうんぬんという話も、ここ
に含みます。感覚的ですが、西洋的発想ですかね。
対して前者の「悟りの境地」は意味が捉えにくい。
「これが悟りの境地だ!」というものが見えづらく、数値化もしにくい。
ぼんやりとした感じです。
だからこそ憧れるんだという考えもあるかと思いますが、人によって悟る
目的も違うしれません。
憧れるのが「悟りの境地」で、実利的に入手したいのが「脳のバージョン
アップ」ですかね、自分の場合。
「悟りの境地」については、かなり自分が素人レベルでそのまま書いて
いるので、正しい理解でなかったらすみません。
しかし、何であれ多少なりとも自分を高めたいですね。