ayulaveの放言

思いついたことを見境なく書いてます

携帯電話の変遷と未来の妄想

携帯電話、今はスマホが主流ですが、これから先はどうなるんでしょうね。

思えば最初の携帯は無線機の小型版みたいな感じでしたね。

購入も5万くらいで、現金購入だったと思います。

たぶん着メロ機能はなかったと思いますが、電話番号の登録機能は搭載して

いたと思うので、掛ける時も掛かってきた時も相手が分かるのは便利だな、

と思った記憶はあります。

メール機能がついたのは、携帯が登場してから1年後くらいですかね?

間違っていたらすみません。

これも画期的でした。電話は相手が出ないとつながりませんが、メール

は届きます。

相手の反応が必要ない、事務連絡の通知にはもってこいの機能です。

何かで読みましたが、災害時の安否確認などには電話機能よりメールの

方がいいようですね。

一旦送信されれば、遅れても必ず相手に届くからです。

カメラ機能はメール機能より後だった思いますが、今検索しても正解が

出てきません。間違っていたらすみません。

 

携帯の様式も変遷がありました。

当初の小型無線みたいなデザインか二つ折りになり、そしてまた薄い

非折り畳みになりました。

もうこの頃にはインターネットに繋がるようになっていたので、当時の

携帯からネット画面は見られましたね。

ただ画面は小さかったですね。

 

そしてスマートフォンの登場です。

今までの携帯と決定的に違うのは、アプリという機能で好きな機能の

取り込みが出来たことだと思います。

発売当時はまだ機種本体の値段も高く、バッテリーの消耗が激しくて

しょっちゅう充電しないといけなかったようです。

またスマートフォンスマホ)の普及に伴い、これまでの携帯はガラパ

ゴス携帯、通称ガラケーと呼ばれるようになりました。

自分もスマホへの切り替えは遅い方でした。

ガラケーではメール機能はあるんですが、ライン機能がないんですね。

職場の同じ部署とかで、事務連絡手段にグループラインが用いられて

きましたが、ガラケーでは参加できず、少しずつ支障をきたしていま

した。

結局6年前にガラケーの故障を機に、スマホに切り替えました。

便利なんですが、両手を使わないといけない場面は増えましたね。

その関係か、両手を使って下を向いて画面を見るので、「歩きスマホ

が社会問題になりましたね。

そうでなくてもずっとスマホ画面を見る人が爆発的に増えました。

アルコール、ギャンブルとは別にスマホ依存症という言葉も登場しま

した。傾向としては中学生以上から20代くらいまでが多いようです。

自分も店で混んでいる時のレジ待ちとか、電車やバスに乗るときまで

の待ち時間には、確かにスマホとニラメッコしますけどね。

まあ色んな社会問題など発生していますけど、機能が便利になるのは

間違いありません。

スマホの画面はガラケーより大きくなって動画もよく見られますが、

その辺の機能拡充が発展するんじゃないかと思っています。

よくSF映画で見られる、ライトみたいに空中に照らすと、そこに

ホログラムみたいに情報が映し出される携帯が登場するかもしれま

せんね。

あるいは電話相手が、ホログラムみたいに自分の目の前に現れるとか。

今からのSF映画なら、色んな未来の携帯が登場するかもですね。

 

 

コミュ能力とテレパシー能力

ちょっと暗くてウジウジした話になるかもしれません。

 

自分は元来穏やかな性格で、人と争ったりすることを好みません。

他人と口喧嘩するのも苦手という性分もあるし、父方の祖父・父が

「俺の言うことを聞け」みたいなワンマンタイプだったので、それを

見て反動的に穏やかになったという両方の側面があるかと思います。

で、それで生きてきて色んな場面で他人と意見の衝突とかすると、

たいていのことは譲歩してきました。

たぶん世間の自分のイメージは「お人よし」だと思います。

また誰でもそうことはあるんでしょうが、「ウマが合わない」人が

います。

こちらは最初から喧嘩する気はないのですが、なぜか話しかけよう

とすると相手が最初から喧嘩腰です。

ちょっと話しても、相手が自分に対して攻撃的であったりイライラ

しているのが伝わってきます。

こういう場合、相手は自分の何が不満なのか気になるところではあり

ます。

例えば見た目がそもそも嫌なのか、しゃべり方が嫌なのか、話の

持っていき方が嫌なのか。

こういう場合、テレパシー能力があれば何が原因なのかはっきりする

でしょうね。

まあ「全部嫌だ」ということもあり得るわけですが(笑)

あくまでテレパシー能力が実在すると仮定してですが、能力のオンオフ

の使い分けという話を聞いたことがあります。

ずっとオンのままだと、他人の思念が四六時中頭の中に流れ込んで

きて精神を病んでしまうので、都合がいいときだけ能力をオンにして

相手の思念を読むとか。

まあ本当にそんなことがことが出来たら、コミュニケーションスキル

の達人ということで、周囲の評判もいいでしょうね。

でも結局のところ、テレパシー能力が実在するかもわからないので、

自分のコミュ能力で他人と接触していかないといけません。

例え相手が自分を嫌っているのがわかっていても、コニュ能力が高け

れば理路整然と話をすることができて、相手も頭から拒絶ができない

でしょう。

今は色んな能力開発講座とか世間にありますから、スキルアップ

できるかもしれませんね。

社会人である以上、どうしても他人との接触・交渉は必須ですので、

多少なりとも相手を嫌な気持ちになせないよう、自分の研磨も必要

でしょうね。

 

 

 

パラドックスが好きで 2

またパラドックスについてのお話しです。

パラドックスにも色々あるんですが、自分がお気に入りのパラドックス

をひとつ。「人食いワニのパラドックス」というやつです。

まあまあ有名な話なので、聞いたことがある人もいるかもしれません。

 

人食いワニが人間の子供を捕まえて今にも食べようとします。

そこへ子供の母親が現れて、子供を食べないでくれと懇願。

そこでワニは意地悪?から母親にある提案を持ち掛けます。

「今から自分が何をするかを言い当てたら、この子供を食べない」と

母親に投げかけます。

さて、母親が何と言ったかです。

母親はワニにこう言いました。

「あなたは今からこの子を食べるでしょう」

 

もしワニが子供を食べようとしたら、母親の言ったとおりになるので

食べられない。

もし母親の予言を外そうとするなら、子供を食べないとする行動を

取ることになるので、やはり食べられない。

結局どっちにしても、ワニは子供を食べられなくなる結果になって

しまうんです。

ではもし、母親がこう言っていたらどうなるでしょう。

「あなたは今からこの子を食べないでしょう」

食べないとするなら予言とおりなので、子供は食べないのですが、

食べようとするなら予言を外すので、食べる。

つまりこの場合は2通りの結果が出るのですが、ワニはそもそも

子供を食べたいという意思があるので、食べないという選択肢は

選ばない。

ということは、この場合は確実に子供は食べられてしまうんですね。

なぜこんな違いが出るかというと、母親の「あなたは子供を食べ

ない」という予言は、その後のワニの行動に矛盾を生じさせる

からですね。

 

文字で書くと面白い話だと思いますが、そもそも矛盾が生じるのが

ミソなんですね。

本来矛盾というのは物理的にあり得ない現象だと思うんですけど、

言葉遊びでこんなことが起こってしまう。

同じタイプに「この文章は嘘である」というのがあります。

この文章が真実なら、「嘘である」というのが矛盾するし、嘘なら

「嘘ではない」ということになり、やはり矛盾します。

これもまた、矛盾を内包してしまっているからこんなことが起きる

んですよね。

 

パラドックスって面白いですね。検索すると色んなパラドックス

が紹介されます。中には数学的に難しくて理解しにくかったり、

「これ矛盾解消の方法があるんじゃないの?」と思うものもあったり

します。

パズルと一緒で、暇つぶしにはいい頭の柔軟体操かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庶民とお金持ちの金銭感覚

自分は自分でいうのもなんですが、一般庶民です。

根っからの庶民なので、買い物をする時も10万円を超える買い物を

する時は慎重になったりします。

まあそのくらいは一般市民は普通かもしれません。

ただ当然ながら、世の中裕福な人もいればそうでない人もいるので、

一度に使える金額に差があったりします。

車を買うときも慎重ですね。

買うという意思は決定しているので、あとは希望車種と定価を見て

売店の人と交渉したりします。

でもお金持ちの人とかそんな交渉とか関係ないんでしょうね。

ディーラーから一通りの説明を聞いた後、性能に納得すれば即決・

即購入してしまう。

なかには吝嗇家の人もいるでしょうから一概には言えないでしょう

けど。

今回のグログは金持ち批判ではないのですが、やはり一般庶民とは

金銭感覚が違うなって思います。

自分は株とか投資はやらないんですが、百万円単位以上の金を動か

せる人はすごいなあと思います。

大企業とかは普通に1日でそんな金の流れがあるでしょうが、個人

が動かすのはすごい。

昔誰かが言っていましたが、「大金を持っているのがすごいのでは

なく、大金を右から左に動かせる人がすごい」ということですね。

自分は株をやったことないですが、5万円以上の株購入とか勇気が

いると思いますね。

投資家の人とか経験と自信で、高額のお金を回しているんでしょうね。

自分は現金主義で、キャッシュカードは持っていても使わないんで

すが一度くらいは残高を気にせずに、高額な買い物をカードでして

みたいものです。

そして金持ちになれるかどうかも疑問なんですが、なったら社会的に

有益な寄付行為をするとか、ちょっと人様のお役に立ちたいですね。

少なくともお金や立場で他人を見下さないお金持ちになりたいです。

 

 

 

宇宙空間の不思議

宇宙空間って広いですよね。

科学が大幅に発展しましたけど、それでも月に行ったのがやっとです。

地球は太陽系に属していますが、太陽の引力で引っ張られているので、

つかず離れずの距離を保っているようです。

おかげで太陽の光と熱で、地球に恵をもたらしてくれています。

 

で、太陽系を図で見ると、太陽の周りを地球を含む他の惑星が地球と

同じく旋回していて、これが太陽系と呼ばれる所以ですが、結局ずっと

同じ位置というか空間にあるんですかね?

自分は子供の頃から理科というか理系学が苦手で、こういう宇宙の性質

とかさっぱりわかりません。

従って「このおっさん何を言ってるん?」みたいな発言を多々しますが、

ご容赦ください。

 

先ほどもいいましたが、地球と太陽(他の星もそうですが)の距離は

確定しています。

ただ太陽系の惑星は、同じ宇宙空間にずっと留まっているんですかね?

昔読んだショーショート(星新一だったと思いますが)に、ある日気球

が地面に落ちて潰れるという話がありました。太陽も他の星もそれぞれ

のタイミングでグシャッと潰れる。そう、今まで太陽系はずっと落ちて

いたのだ、という話でした。

実際には太陽系は銀河系に含まれ、更にその外にも宇宙空間があるよう

です。

その距離間がずれているとは聞かないので、少なくても銀河系の中での

太陽系の位置はずれていないんだと思います。

でも例えば、銀河系が移動していたら誰かそれがわかるんですかね。

宇宙空間は星があるところ以外は漆黒の空間でしょうから、移動していて

も誰にも分らないかも。

平行方向あるいは上下方向に動いているかもしれません。

地球から見て位置がずれていないといっても、銀河系の中の地球ですから

動いているとかいないとか観測できるんですかね?

結局起点を確定できないから、観測しようがない話じゃないかと思います。

その起点が本当に動かないのかも判断のしようがない。

宇宙に果てがあったとして、ずっと移動していたら、いつか天井にぶつか

ったり先ほどのショートショートみたいに、底に落ちて潰れたり平行移動

でも、壁にぶつかったりするんですかね。

これまた昔に読んだ本で、実はビッグバン以後、宇宙は膨張し続けている

から果てはないという話もありましたが、本当のところはわかりません。

でももし果てがあったとしても、ずいぶん前に読んだ本ですが、仮に化学

が発達して宇宙を際限なく飛べるロケットが出来たとしても、行ける範囲

に限界があるそうです。

宇宙空間自体の重力の関係?そこの原理は忘れましたが、まっすぐ飛んで

いるつもりでも、光が重力で曲げられ上下か平行かはともかく、円状に

飛んで結局元の位置に戻るのだとか。

 

宇宙空間とか考えるネタが豊富で、それだけで興味が尽きないんですが、

いつか宇宙に存在する惑星のポジションとか分かれば面白いかもしれま

せん。いや実は分かっている?

素人がおもいつくまま書いてみました。

 

 

お通夜に参加して

最近のことですが、妻の祖母が亡くなったので、お通夜に参加しました。

悲しいことですけど、90歳を超えていたので大往生だったのではないで

しょうか。

自分の家と他の家の宗派が違うことは多々あります。

同じ仏教徒であっても歴然とした差はあります。

もちろん単なる違いなのでどこがよくて、どこが悪いという話ではないの

ですが、来てくださったお坊様の読経が自分には珍しいものでした。

最初の頃こそ普通にお経を読んでおられたんですが、途中から抑揚をつけ

て時々大声をあげ、お経でもなく舞台のミュージカルみたいなセリフ

回しに変わっていきました。

「おお悲しきことよ!」みたいな感じです。

不謹慎ながら、普通のお経読みで聞いていてうつらうつら寝ている人が

いたら、確実に目が覚めて絶対寝られないだろうなという感じでした。

もし乳幼児がいたら泣き出したんじゃないかって迫力でした。

そして読経が終わったあと、お坊様が一言あいさつされたんですが、全然

物静かな方で、今までの荒れるような読経とのギャップにちょっと驚いて

しまいました。

妻側の葬式参列が初めてだったので、終わって妻に「お寺さんのお坊さん

はあんな感じなの?」と聞いたところ、「あのお坊さんは初めて」という

話でした。妻も驚いていたようです。

あと細かい点で、焼香の上げ方の作法とかやはり自分の家とは少し違って

いました。ただし作法を説明してくれた葬儀社の人によると、「自分の

宗派の流儀でやっていただいてもかまいません」とのことでした。

やはりこういうのは強制はよろしくないんでしょうね。

そういえば自分の父の時、葬儀社の手配で、葬儀中にハーブを生演奏して

くれる人がいました。

参列した人からしたら「珍しいな」と思ったかもしれません。

同じ仏教の中でこれだけ違うのですから、キリスト等他宗教だと更に違い

があるでしょうね。

「ご霊前」はどの宗教でも使えるそうですが、ご仏前は仏門しか使えない

ようです。

それぞれキリスト教神道の場合はまた違うそうですね。

 

葬儀に参加というひとつの行為であっても、なかなか気を遣う場面とか

色々ありますね。勉強にはなりますけど。

 

 

 

 

 

春、出会いと別れ 桜

春は子供でも卒業式、入学式などがあり大人でも新社会人なら入社式

や、既に社会人でも人事異動による出会いと別れ、そして一定の年齢

になれば定年退社がありますね。

年の変わりは12月末で新年は1月からですが、年度という制度が

あって、終わりは3月、始まりは4月となっています。

社会人としての営みはこの年度制度に沿うものです。

 

ちょうどこの時期は桜が咲く季節ですね。

昔から日本では馴染みが深く、すぐ散るのが早いことから出会いと

別れの象徴にもなっているようです。

また初めて小学生になる子供さんがランドセルを背負って、桜の木の

前で、正装した親御さんと記念写真を撮ったりします。

 

4月を年度の始まりにしたのは偶然なのかは分かりませんが、まさに

出会いと別れの季節であり、桜の時期とも重なります。

桜は淡いピンクでどぎつくないのがいいんですよね。

触っても薄い花びらで、音もなく散る。

今はだいぶ復活したようですが、花見とかやりますもんね。

 

自分は昭和世代なので、歌謡曲でいえば柏原芳恵の「春なのに」とか、

斉藤由貴菊池桃子が歌う「卒業」を頭に思い浮かべたりします。

もちろん世代が違えば、違う歌が思い出されると思いますけど、みな

それぞれの思い入れがありますものね。

 

そして自分も職場で人事異動の内示がありました。

うーん、新しい上司の人、きついんですよね。

上手くやっていけるか早くも心配です。

人によって、今までの悩みが解消したり逆に新たに発生したりと大変

ですよね。

これからどうなるかわかりませんが、桜の木の下に行って豊富と決意

でも宣言しようかな。

神社への参拝も必要かもですね。