ayulaveの放言

思いついたことを見境なく書いてます

本物の価値観

もう技術が進んでしまって、色んなものが簡単にコピーできるように

なりました。

3Dプリンタ技術が進んで、立体的なものまでコピーが可能になって

きています。

パソコンで文字を打って、印刷すると初めての文章が書かれた文書が

生まれて、それが原本になります。

でもそれをコピーして見比べても、どっちが原本か分からないという

ことです。

言い換えると、コピー技術が進んでいるということです。

流石に印鑑とか押印した文書をカラーコピーすると、色合いとか微妙

な差があって何となく違いはわかりますが、多分高性能のコピー機

とか使うと、色合いまでそっくりなコピ―が出来るんじゃないでしょう

かね。

そうなると、もう原本の意味がなくなりますね。

歴史資料館みたいなところに行くと、昔の文献とかが展示されていますね。

あれはもうそれしか現存していない本物だから文化的価値があるんで

すよね。

あるいは絵画などの芸術作品。

それが本物だと認識されているから、芸術的価値、金銭的価値がある

んですね。

でもそういうのも技術の進歩で、完全コピーできるようになったら、

その価値は大幅に減少しますね。

一応本物としての価値は残るでしょうが、もし何らかの手違いで本物

と見分けがつかなくなったら、その価値もなくなるでしょう。

今はまだ本物から完全コピーをもし作れても表面だけで、中の材質的な

ものまでコピーはできないでしょうから、まだ見分けは付きますが、

その材質までコピーする技術まで可能になったら、もう「原本の貴重さ」

という概念は失われますね。

 

いい面もあります。食料危機はなくなり、飢餓の不幸は世界中から無く

なるでしょう。

悪い面だと核ミサイルとかコピー技術で作れちゃうから怖いけど。

発明というのは「原理の発見と応用」ですよね。

一旦理論的に可能という原理を発見すれば、後は研究するだけです。

完璧なコピー技術とかまだまだ先の話のようで、技術の進歩具合は加速

しているので、案外早く革新的な技術が生まれるかもしれません。

いつの時代にも言われることだと思いますが、発明されたものが悪い

のではなく人間使い方の問題なので、人の倫理と良心に期待するしか

ないですね。