ayulaveの放言

思いついたことを見境なく書いてます

多すぎる類義語に困って

仕事で、会議の案内とかを出すことがあります。

冒頭に季語を出すんですが、「何々の候、何某様(あるいは貴殿)におかれ

ましては益々ご健勝のことと云々」というやつですね。

しかし、月に合わせて「何々」の部分が変わるんですが、まあこれが種類が

多いこと。

例えば今は11月ですが、「晩秋、季秋、深秋」などたくさんあります。

あまりに多くて割愛しましたが、どの場面でどれを使う区分はないわけでは

ないですが、おおまかなようです。

相手がどんな言葉を使われると喜ばれるとか分からないし、松竹梅みたいな

優越の差もないようなので、昔の人は何でこんなにたくさん季語を作ったん

でしょうね。

悩む時間も発生してしまうので、最初から「ひとつの月に1つ」ってしてしま

えばよかったのに。

 

例えば「経験」と「体験」ってどう違うの?って思っていましたが、「経験」

は過去に起こったことを学びに変えたり、失敗なら反省を含んだりするようで

すが、「体験」だと単純に「過去に起こったこと」そのものらしいです。

調べてみるものですね。

 

で「同意」と「賛成」と「賛同」の意味も調べてみましたが、賛同が一番

硬い感じで、ビジネスの場面では一番向いているそうです。

たしかに友達同士で会話するときは、ざっくばらんに「賛成」という言葉が

向いているかもしれません。

ちゃんと調べたわけではありませんが、日本語って世界でも類義語が多い国

じゃないかって思います。

 

ちょっと話は反れますが、英語だと自分のことは、ⅠかMEでしょう。

日本語みたいに私、僕、自分、俺、ワシなんて種類はないでしょう。

昔は拙者や某(それがし)、手前とかもあったようですが。

日本語を勉強する外国人は大変だと思いますよ。

洋画を日本語訳で見るとき、Ⅰしか言わないのを画面を見て「ああ、画面で

喋っているのが真面目君だから僕、老人だったらワシ」とか区別して訳する

のは日本語くらいじゃないですかね。

 

映画で思い出しましたが映画は「観る」で、夢は「見る」ですね。

発音は同じですから「みる」ですが、「俺は映画を観てたが、つまらなくて

途中で寝て夢を見てた」なんて区別が生じるわけですね。

能動的に見るかどうかの違いらしいですが、発音したら同じだから個人的

にはどうでもいいような気もしますけどね。

こういう文字の使い分けって教養や常識の問題ですかね。

どうでもいい類義語の使い分けなんて、廃れてもいいと個人的には思い

ます。